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瑞穂市 城跡へ♪

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瑞穂市 城跡■

十七条(じゅうななじょう)城跡(じょうあと)十九条(じゅうくじょう)城跡(じょうあと)美江寺(みえじ)城跡(じょうあと)(ただ)(こし)城跡(じょうあと)本田(ほんでん)城跡(じょうあと)など。

今は城址(じょうし)標柱(ひょうちゅう)だけの所もありますが


・「十七条城跡」

熊野神社を北端ほくたんにして、南側に十七条城があったようです。南北朝時代に、

舟木頼胤(ふなきよりたね)が築いたお城です。城主じょうしゅは数代変わり、1530年頃には、

徳川家康に仕えた林氏の居城きょじょうとなりました。春日の局の夫となるはやし正成まさなりは、

1571年この十七城で生まれました。のちに、後継ぎがいないため、十七条城は廃城。

熊野神社内に春日の局ゆかりの地やドラマの説明版などが立っています。

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・十九条

津島つしま神社じんじゃ境内けいだいとなっている辺り一帯に築かれていました。

神社境内が、本丸(ほんまる)(あと)といわれ、案内板が立てられています。遺構(いこう)はほとんど残っていませんが、

神社北側にわずかな(ほり)(あと)が残っています。


1526年、土岐とき頼純よりずみの命により、川手かわてじょうを防衛するじろの1つとして、齊藤さいとうとしながによって

築かれました。その後、齊藤道三が美濃みののくにを支配するようになると廃城となりましたが、

その後、織田おだひろよしが城主となって再び城が築かれました。その後斎藤さいとうたつおきと織田信長が戦った際、

十九条城主の織田おだひろよしが戦死したため、廃城。

瑞穂市教育委員会の説明書きが立っています。それによりますと、「ここには屋敷やしきという

()字名(あざめい)があり、城屋敷の名残(なごり)を示している。また犀川(さいかわ)が西で半円を描いて流れ、天然の要塞(ようさい)をなし、

城地として、適地であった」と書かれているんです。

詳しくは、瑞穂市HPを、ご覧ください。

皆さんも新型コロナウイルス感染症が落ち着いたら訪れてみてくださいね。