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御嵩町 笹の才蔵とは?!

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御嵩町 可児才蔵■

猛将「可児才蔵」の生誕地。才蔵は名のある大名でもなく、城も領地もない一介の兵士ですが、

その強さから生まれた魅力的なエピソードの数々は、歴史ファンの間で高い人気を誇ります。


可児才蔵は、戦国時代から江戸時代初期に活躍した武将で、槍の名手として知られています。

御嵩町の古刹「願興寺」に伝わる大寺記に才蔵の出自について記されており、越前で朝倉義景が

滅ぼされた際、逃げ出した側室が願興寺にたどり着き、後に才蔵を産んだとされています。

朝倉の姓を名乗ることを避け、願興寺の別称である「可児大寺」から姓を可児、名は太郎として

幼少期を過ごした後、成長して越前へ出ていく際に「可児才蔵」と名乗るようになったと言われています。


才蔵は一介の兵士として戦場を渡り歩き、多くの武功を挙げましたが、主君を転々としたことでも

知られています。主君がコロコロ変わるのは本来よくないんですが、才蔵は武将として非常に

優秀であったため、士官先には困らなかったようです。最終的には福島正則に仕え、

天下分け目の関ケ原に出陣することになります。

才蔵は東軍、福島隊の先鋒隊長として先陣を切りました。福島隊は東軍の中でも最前線であり、

その先鋒であれば、戦いの火蓋を切る重要な役割を担っていました。

その中で才蔵はなんと17の首級を挙げたとされ、この数は、関ケ原の戦いでもっと多い数であったと

伝えられています。またこの時、才蔵は自分の打ち取った首級の鼻や口に笹を入れていたことから

「笹の才蔵」とも呼ばれました。


当時自分の手柄である首級は本陣まで持ち帰らなければならなかったのですが、それではより多くの

首級を挙げることはできないため、才蔵は笹の指物を背負って戦い、打ち取った首に笹を

しのばせることで、自分の手柄としての証拠を残したと言われています。

また、当時はお酒のことを「ササ」とも呼んでいたことから、

敵将への最期の手向けとして笹を使ったとされています。

御嵩町HPを、ご覧ください。

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・関ケ原の古戦場記念館にて、4月3日(土)から5月9日(日)まで、

「戦国最強の武将 可児才蔵展 ~流浪の人生~」を開催します。

企画展では、才蔵のディープな魅力やエピソードなどを紹介します。

無料で見学できるので入館前に才蔵を予習すれば、記念館を120パーセント楽しめますよ。


・関ケ原古戦場記念館までのアクセス

東名高速道路、関ケ原インターから車で5分、JR関ケ原駅から徒歩10分です。

現在、記念館では新型コロナ対策のため入館者数や入館方法を制限しております。

込み具合によっては入館できない可能性があるため、事前に予約をしてからご来場ください。

詳しくは、関ヶ原古戦場記念館HPを、ご覧ください。