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濃尾震災紀念堂(岐阜市)

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今日2020年3月11日で東日本大震災から9年が経過しました。

毎年この日の夜に被災地で犠牲者を追悼する活動を続けている岐阜県内の有志でつくるグループは、東日本大震災が起きてまもなく現地にボランティアに入ったことがきっかけで、毎年3月11日の夜に岩手県釜石市で3と11の数字をかたどった行灯(あんどん)を海に浮かべて犠牲者を追悼する催しを開いています。

そのメンバー4人は岐阜市の金華山のふもとで採れた竹や岐阜県産の和紙、それに電球など行灯作りに使う資材をトラックに積み込み、7日に出発しました。

グループは例年、現地の保育園児などと一緒に行灯の飾りつけをおこなっていますが、今年は新型コロナウイルスの感染防止のため中止にし、すべて自分たちで組み立てるそうです。

グループは直径3メートルほどの球体の中に「3・11」という数字をかたどった行灯を入れて、光を灯すことにしています。

代表の古川さんは「ウイルスのことは注意しないといけないが、被災地を想う気持ちに変わりはない。津波が来たあの場所に立って同じ光を見つめたい」と話していました。


その東日本大震災の120年前、この地域で日本史上最大の内陸地殻内地震「濃尾震災」が発生しました。

120年以上が経過した現代まで、毎月28日の月命日、10月28日の祥月命日に犠牲者を供養するための法要をおこなっている濃尾震災紀念堂を紹介します。

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1891年(明治24年)10月28日午前6時37分ごろ、マグニチュード8.0を超える巨大な内陸性直下型地震が、根尾谷を震源地として発生しました。

その被害地は岐阜県・愛知県を中心に滋賀県・福井県など広い範囲におよび、家屋の倒壊や直後に発生した火災により、死傷者はおよそ3万人にのぼりました。

岐阜県内での死者はおよそ5,000人で、岐阜市内でも4割近くの家屋が全焼し、死者は1,000人を超えました。

本巣市にある自身断層観察館では、このときの断層が保存され、地震の脅威をまざまざと見せつけています。

このとき亡くなった人々の慰霊のために、衆議院議員であった天野若円が建立したのが濃尾震災紀念堂です。

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伊藤博文、犬養毅、大隈重信など時の政府の要人の賛同も得て、全国から集まった義援金で濃尾震災紀念堂は完成しました。

その後昭和20年の空襲でも燃えることな守られ、今もほぼ当時の姿のままです。

2005年には耐震・補強工事がおこなわれ、これからも守り伝えていくべき建築物として、2006年に文化庁の登録文化財に指定されています。


アクセスはJR岐阜駅から車で5分。

詳しくはこちら。

濃尾震災紀念堂のホームページ